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コラムColumn

「分断」から「共生」へと導く社会づくり  ~アーティストによる子どもワークショップを通じて~ vol.4

「分断」から「共生」へと導く社会づくり
~アーティストによる子どもワークショップを通じて~ vol.4

「分断」から「共生」へと導く社会づくりをテーマにお送りしている4回シリーズのコラム。Vol.3~4は少年院等の矯正教育の場にいる子どもたちをテーマにお送りしています。

Vol.4最終回となる今回お送りするのは、山本ゆかりさん[リトミック講師・篤志面接委員]、山本一乃さん[篤志面接委員]、新井英夫さん[体奏家・ダンスアーティスト]による、非公開で行われたオンライン座談会の様子です。
矯正教育の場で活動されている山本ゆかりさん・一乃さんにお話を伺いながら、矯正教育の場でアーティストによるワークショップがどのような効果を発揮する可能性があるのか、アーティストの新井英夫さんに一緒に考えていただきました。

Vol.3「矯正教育におけるアーティスト・ワークショップの可能性」(前編)はこちら

【助成】公益財団法人東京都歴史文化財団 アーツカウンシル東京
【共催】公益財団法人としま未来文化財団(あうるすぽっと)


「矯正教育におけるアーティスト・ワークショップの可能性」(後編)

●座談会日時:2020年8月8日(土) 11:00~13:00(Zoomを使用したオンライン座談会)

●登壇者プロフィール:

山本ゆかり/リトミック講師・篤志面接委員
国立音楽大学リトミック専修卒業後、舞踊療法・音楽療法を学ぶ。子ども達のコミュニケーション能力を身体を通し学ぶことができないかと研究し「ムーブメント・コミュニケーション」を考案。現在、小中学校にて指導する傍ら、拘置所・少年鑑別所などで、ムーブメント・コミュニケーションと絵本や詩の朗読をセットにしたカリキュラムで、心のケアと育成指導に取り組んでいる。日本音楽療法学会会員。

山本一乃/篤志面接委員
元私立小学校教諭。退職後、カウンセラーとして親子の相談にのる。立川拘置所、 東京西法務支援センターにて外部講師としてムーブメント・コミュニケーション・朗読の指導。立川拘置所篤志面接委員。

新井英夫/体奏家・ダンスアーティスト
自然に沿い力を抜く身体メソッド「野口体操」を創始者野口三千三氏より学び深い影響を受ける。投げ銭方式の市街地野外劇などアートでヒトとマチとの関係を紡ぐユニークな劇団活動を主宰、のち独学でダンスへ。現在まで国内外での舞台公演活動多数。舞台活動との両輪として、教育・福祉・社会包摂等に関わる現場で、乳幼児から高齢者まで幅広い対象に向けた身体表現&非言語コミュニケーションのワークショップ「ほぐす・つながる・つくる」をバリアフリーに日本各地で展開している。国立音楽大学・立教大学非常勤講師。

進行:堤 康彦(芸術家と子どもたち 代表)
オブザーバー:中西麻友(芸術家と子どもたち 事務局長)

(左から)山本一乃さん、山本ゆかりさん、新井英夫さん

●用語等の説明:
法務省ホームページより抜粋
※参照:法務省矯正局『少年鑑別所のしおり』(平成31年4月) http://www.moj.go.jp/content/001221182.pdf

※【少年鑑別所】 (法務省ホームページより抜粋)
昭和24年の少年法及び少年院法の施行により発足し、平成27年施行の少年鑑別所法(平成26年法律第59号)に基づき業務を行っています。下記の業務を行うことを目的として、各都道府県庁所在地など、全国で52か所に設置されています。
①家庭裁判所等の求めに応じ,鑑別を行うこと
②観護の措置の決定が執られて収容している者等に対して,観護処遇を行うこと
③地域社会における非行及び犯罪の防止に関する援助

※【鑑別】 (法務省ホームページより抜粋)
鑑別は,医学,心理学,教育学,社会学などの専門的知識及び技術に基づき,対象者の非行又は犯罪に影響を及ぼした資質上及び環境上問題となる事情を明らかにした上で,その事情の改善に寄与するため,処遇に資する適切な指針を示すことを目的として実施します。

※【観護処遇】 (法務省ホームページより抜粋)
観護処遇とは,少年鑑別所に収容している者に対する取扱いの全て(鑑別を除く。)をいいます。観護処遇に当たっては,情操の保護に配慮するとともに,特性に応じた適切な働き掛けを行うことによって,その健全な育成に努めています。

少年が、何かしら非行もしくは触法行為をした等の場合、「家庭裁判所」に送られ、そこで「観護措置」が決定した場合、「少年鑑別所」で鑑別及び観護が行われます。この少年鑑別所での活動について、山本ゆかりさん、一乃さんにお話しいただきました。



// 鑑別所でのワークショップ~ムーブメントコミュニケーションと朗読~

山本ゆかり:私と母(山本一乃さん)は、八王子鑑別所(今は名前が変わって、「法務少年支援センター」になっています)と立川拘置所に二人で訪問しています。活動内容としては、二人で1時間の枠をいただいて、その中の前半30分に私の「ムーブメント・コミュニケーション」、後半30分に朗読という形で、どちらの施設でも同じように行っております。

私の「ムーブメント・コミュニケーション」は、主に共感性をテーマに行っていて、内容としては必ず音楽を使って、音の旋律の力を借りながら身体表現をするというものです。何もない状態では難しいので、必ず道具や楽器の力を借ります。例えば、こういった、いろんなカラーボードを使ったり、長いゴムを使って、動きながらコミュニケーションを取っていきます。

例えば、キャンディーボールを使って、物を渡す、受け取る、という動作も、彼らにはなかなか難しくて、相手の立場に立って、どういう力加減、どういう表情、どういう気持ちで相手に渡したら、向こうも心地よいと感じてやさしく受け取ってくれるかという事を考えながら動いてもらいます。まずはそこからいつも始めて、徐々にステップアップしていきます。

先ほどのカラーボードを使う場合は、二人で手で挟んで、リーダーがきちんと自信を持って相手を誘導していきます。ただし、この時には、相手のことを考えて、速さなり、力をきちんと考えながら、動いてもらいます。次に私が「リーダー交代」と言ったら、相手がリーダーで(リーダーをしていた)私が合わせる側で、今度は逆の立場になりますね。合わせるとはどういうことなのか、相手が動きやすくできるように力を考えたり、相手の動きを見ながら合わせたり、という作業をしていきます。
長いゴムは、一緒に広げて、立体的な図形を音にあわせてつくっていって、1つのものをみんなで協同してつくり上げていくんだという、そういう気持ちや感覚を、身体を通して感じてもらいます。

言葉は一切しゃべらないです。もちろん、私語は禁止です。少年支援センターは、共犯の子も(同じ施設に)たまにいたりするので、少年同士のコミュニケーションは一切禁止になっています。少年院はしゃべってもいいですが、鑑別所ではそこは厳しくなっています。

少年院は教育する施設であるけれども、鑑別所はあくまで「鑑別」する場所であって、教育する場所ではないので、「こうしてください」、「ああしてください」という「指導」をせずに、考えて自主的に行動できるように促すように言われていて、そこが難しいです。鑑別所では、あくまで、彼らはそこにいて、裁判を待っている場所なので指導をしてはいけないんです。私以外に、盲導犬の人が入っていたり、エアロビクスとかスポーツとかもやっているんですけど、あくまで指導ではなく、経験として行っているという状況です。そこが、少年院と鑑別所の大きな違いであると思います。
私が指導する時には、「共感性」ということをメインにしています。「シンパシー」と「エンパシー」とよく言われますが、特に「エンパシー」の方を感じてほしいと思っています。(「エンパシー」には、)洞察力、想像力、表現力、この3つが必要になってくるので、動きを通しながら、相手を観察して、相手の気持ちを想像して、それをグループで表現していく。自分だけの表現ではなく、あくまで、相手がいての表現、それをどういうふうにしていくかということをすごく気を付けています。

(鑑別所に)来る子は、もちろん家庭環境もバラバラですし、大変な環境で育っている子もいます。極端に消極的な子もいれば、極端に積極的な子、「俺が、俺が」という子もいるし、両極端な子どもたちがいるので、動き一つ一つを見ながら、その子にあった声掛けをしていって、できるだけその子が自信を持って表現したり、コミュニケーションをとれるように、どうにか引き出しながら導いていくように気を付けています。すごく繊細な方たちなので、触れてはいけないこともあるので本当に気を付けながら様子を見て、傷付けないように、30分の中で何かを引き出せるようにという思いで活動しています。そして、私のムーブメントの30分が終わった後に、着席して、母の朗読になります。

山本一乃:「ムーブメント・コミュニケーション」が終わった後は、子どもたちがものすごく柔軟になっています。朗読に入りましても、みんな真剣で、話が自然と心の中に入ってくれるんですね。時には、男の子たちも涙を流して聞く態勢にまで行きます。

実は私は20年ぐらい前から「ムーブメント・コミュニケーション」は必要じゃないかな、と思っていました。私は小学校の教師だったので、うちに子どもを呼んで、実際にムーブメント・コミュニケーションを子どもたちにやってもらったことがあるんです。その時、ものすごく効果が出ましたので、今、鑑別所や拘置所などに行って、少年たちや受刑者にムーブメント・コミュニケーションと、朗読をして話を聞かせるようになっております。

その時、その時の子どもたちによって、読む本も違います。詩を読む時もあります。絵を見せながら読む時もあります。考えさせる本もあります。そういう風に、子どもたちによって、受刑者によって、(朗読の内容は)変わってきます。

朗読が終わった後は、「はい、終わりです」と(すぐには)終わりません。(朗読が)終わった後に、必ず、大切なお話を聞かせます。どの少年たちにも、「あなたたちは、この時間を無駄に使ってはいけない」ということを話します。本当はここに来ちゃいけないんだけど、この時間を神様からいただいたと思って、この何週間の間、いろんなことをくりかえし考えたり、いろんなことをやってみてくださいというような話や、これから必要なことを子どもたちに話して聞かせます。

子どもたちは柔軟になっていますから、本当に真剣に話を聞くんです。目の輝きが全然違います。鑑別所の子どもたち(の目)はものすごく輝いていて、それぐらい純粋で、いろんなものを持っている子どもたちなんです。それを引き出せずに、鑑別所、少年院に入ってしまった子がいっぱいいます。

感想文を私たちが次の指導で行った時に拝見するんですが、そこには、涙が出るような内容が書いてあるんです。これだけ立派なものを持っていて、どこで間違えたか、歯車があわなくなって、ここに来てしまった子どもたち。素晴らしい感覚の持ち主ですし、芸術方面もすごいですし。自分が教師をしていて、こんな子がいたかなと思うぐらいの子もいっぱいいます。

新井英夫(以下、新井):僕自身はそういう少年たちとの出会いは今までにはないですけれど、例えば、“芸術家と子どもたち”のワークショップで伺う児童養護施設の子どもたちの中には、発達障害にあたるような子どもたち、もしくは、虐待を受けてきて、なかなか人とのコミュニケーションが難しい子どもたちがいて、そういう子たちとワークショップをした時の印象と重なる部分があるなぁと思って聞かせていただきました。

例えば、ある程度、家庭のバランスがとれているような所で育った子どもたちであれば、年齢に応じて獲得しているような 大人との信頼関係や子どもたち同士の遊びを通しての「育ち」みたいなものがあるでしょう。ある部分欠けていたりだとか、もしくは、もともとの障害特性があって、人との関わりが難しい、特に言葉によるコミュニケーションが難しいといった場合に、まさに、山本ゆかりさんのやってらっしゃるような「ムーブメント・コミュニケーション」を経験することがとても有効だと思います。

僕自身の活動も、決まった振付で動くというよりも、動きを通して言葉ではなくて相手と協働していく即興的な対話です。それは、ただ一方的に合わせるだけではなくて、自分の力加減を伝えたり、相手の力加減を受け止めたり、ということで、身体の動きの実感から信頼関係の土台みたいなものをつくっていきたいなと思ってやっているんですけど、まさに同じような事をされているんだなと感じました。

僕と違うのは、そこに言葉がセットになっているというところが、素晴 らしいなと思ったんですよね。まず身体と心をほぐす、そうやって言葉がちゃんと伝わる素地をつくっていくというのは、まさに人間の発達段階をそのままやってらっしゃるんだなと。言葉が生まれる前、身体の土台をほぐして、つなげて、その後に言葉と出会わせていくというような、この1時間の流れが大変よくできているプログラムなんじゃないかなと想像しました。


//矯正施設の中の子どもたち

堤康彦(以下、堤):塚越さんのご寄稿(コラムvol.3参照)を拝読しても、今のお話でも、少年院の子どもたちも、鑑別所の子どもたちも輝いた目をしていて、素直だというのは、おそらく世の中一般的なイメージと違うと思います。何かしら法を犯してしまった子どもたちのイメージとのギャップに単純に驚きました。
逆にいうと、何故、そのような子どもたちが鑑別所、少年院に来てしまうのか。社会の側が追い込んでいってしまった問題もあるのかなぁと思うんですが。

山本一乃:子どもたち、少年たちは、大人をあまり信頼していない子が多いですね。だから、私たちが行った時も、最初は、この人、大丈夫かな、というような目で見られます。でも、やっていくうちに、わかってきてくれるんですね。そうすると目の輝き、動き、がガラッと変わってくるんです。だから、いつも、こういった少年院の子どもたちや拘置所の受刑者に言うんですけれど、生まれた時は、みんな一緒なんだよ、と。

新井:児童養護施設に関わらせていただいて、予想以上に虐待を受けていたということによって発達に影響がある子がいると知りました。本人に非があるわけではなくて、そういう特性を持っていて社会になじみにくいというところで、それが暴力的な行為になってしまったり、他害行為になってしまうみたいなケースもあるというのを初めて知りました。実際に矯正施設へ行かれていて、そういった障害を持っている少年たちの割合が多いなとお感じになることはありますか。

山本一乃:ありますね。そういう子が増えていると感じます。

山本ゆかり:刑務官の方の話によれば、みんながみんなではないですが、8~9割が、家庭に問題があると聞きます。虐待もそうですし、生活能力のない家であったり、ご両親が離婚してしまって再婚相手の所にいて、思春期だったから気持ちの整理がつかなかったりとか、いろいろですかね。

新井:僕も、しばしば体験することなんですけど、いわゆる“障害”を持っている、持っていないという見方もあるんですが、表現をするという場においては、社会的に障害があるとか、ないとかということは関係なく、むしろそれが独自の物の見方であったり、表現の仕方であったり、とてもユニークだなぁと思うことがしばしばあるのですけれども、そういった体験はおありでしょうか?

山本ゆかり:ありますね、発想力も違いますし。私自身も、「あ、こういう反応をするんだ」「こういう物の見方ができるのね」という、すごく良い意味で驚くような、そういう子もたくさんいます。それから、あの場所だからかわからないんですけど、基本的に、すごく礼儀が正しいです。ちゃんといろんな事をわきまえて行動できる、そういうところはきちんと持っている子が多いというのが正直な感想ですね。


//本当の共感性

堤:ゆかりさんのお話の中で、他者との、相手がいての表現だとか、共感性、「シンパシー」「エンパシー」というお話が出ていたかと思うんですけど、そのあたりについてもう少しお話しいただいてもいいですか?

山本ゆかり:非行少年だけではなく、よく、テレビや本でも見るんですけど、「シンパシー」というのは「共感性」で、言葉は良くないけれど「上辺(うわべ)」。例えば、SNSやブログを見て、「いいね!」とか「かわいいね」とか、そういう「(上辺の)共感性」というものは持っていると思うんですけど、「エンパシー」という、こういう行動をしたら相手がどう思うだろうと想像して、相手の気持ちを考えて、動くという「本当の共感性」というのが乏しくなっているのではないかということをよく聞きます。
みんながみんなではないんですが、中に入ってくる子たちは、そういうところの経験が足りなかったり、社会や大人に裏切られたという今までの経験から、相手を信頼したり、相手の動きを見て動く、ということがなかなかできない子が多いです。
私は、「エンパシー」という、洞察力、想像力、表現力の3つが伴って初めて「共感」だと思っていて、相手がこうしたらどう思うんだろう、それにすべてを合わせるわけではなく、そういうことを考えながらきちっと自己表現もしていく。その中でコミュニケーションをとっていくということがすごく大事なんじゃないかなぁと思っています。私は小学校・中学校の特別支援学級にも行っていますけど、それは、非行少年だけでなく、普通の子どもについてもそう思っています。

新井:こういう鑑別所や少年院にいる子たちに特に「エンパシー」の体験を重ねることが必要だということもあるとは思いますが、大人も含めた社会全般で、そういった力が必要だなということを、僕もとても強く感じます。分断が進んでしまう一因として「エンパシー」能力の低下があるように思います。

堤:現代社会では、子どもたちにはいろんな情報がたくさん入ってきて、SNSなどでコミュニケーションがとれたような気になっているけれども、本当に相手のことをわかっているの?というところって、確かに我々も学校などに行かせてもらって、感じるところがあるなぁと思いますね。

山本一乃:今の子どもたちって口で話すコミュニケーションがすごく下手になっていますよね。メールとか、そういうやりとりはとっても上手くいくんですけれど、いざ、人と人が会ってコミュニケーションをとるっていうのが、できなくなっている子も多くなってきていると思います。


//ワークショップで「表現」に取り組む、むずかしさ

新井: 僕の知り合いで坂上香さん(※)というドキュメンタリー映画監督の方がいて、彼女が女子少年院で絵を描くこととインタビューを組み合わせたアートワークショップをやった時の話を聞いたことがあるんです。実際に会っていると、いろんな面を出してくれて、彼女の前では素の状態を出してくれるぐらい信頼関係ができてたりするんだけれど、ワークショップで出てきた表現は、紋切型になっちゃったそうです。「前向きにがんばっている私」とか、「ルールは守ろう」とか。実際にはいろんな犯罪とかそういうことをやってきてしまって、心の闇みたいなものもあるんだけど、何となく「期待される自分」みたいなことを先回りした作品が多くなってしまったとのことです。それは、女子少年院という環境の中で、どこまで個の表現の自由が許されるのか。例えば、すごくトゲトゲした表現みたいなものとか、とんがった表現が、少年院という枠組みの中で許されるのだろうか、と素朴な疑問として思うんですが。

※ドキュメンタリー映画監督 坂上香(さかがみかおり)さんについて
ウィキペディア:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9D%82%E4%B8%8A%E9%A6%99
映画『プリズン・サークル」:https://prison-circle.com/

山本一乃: 私は、時間がある時は、自分でいろんな絵を描いて用意していくんです。それをばーっと机の上に置いて、自分の好きなものをとって、これでお話をつくってみてくださいというテーマを出す時もあります。なるべく向こうの声を聞きたいので。そうすると、中には、いろんなことを話してくれて、自分の心の中のものを話してくれる時もありますよ。

山本ゆかり:ただ、少年も拘置所にいる方も、真面目なので、反省文などを見ても、ああいう場だからだと思うんですが、こう書かなきゃいけない、こうしなきゃいけない、こう表現をしなければいけないという考えに凝り固まってしまっているとは思います。だから、本当に素の表現というのは、引き出すのも難しいですし、時間もかかるのかもしれないです。

中西麻友(以下、中西): 子どもたちにとって「自由に表現する」ということが逆に“しんどい”ということがあるのかな、と思います。児童養護施設等の職員の方から、規律があって礼儀正しくしていたり、一日の日課が全部決まっていて、それに従っている方が楽で、逆に自由な時間があるとどうしたらいいのかわからない子がいるというお話を聞くことがあります。私たちは、表現する力やいろんな力を身につけた方が良いと思いがちだけれど、表現することがしんどかったり負担になる子もいるでしょうし、自由じゃない方が楽だという状態から一歩踏み出して表現することのハードルがすごく高い場合もあるのかなと、話を聞いていて思いました。

山本ゆかり:おそらく、若い少年や拘置所にいる女性もそうなんですが、表現することが難しい子は、こうしなければいけないという枠にとらわれてしまって、それがストレスになって、殻に閉じこもってしまうというケースもあるようです。私としては、そのために、道具や楽器や音楽を通して、できるだけ、負担にならないように考えています。道具も何もないまま、「はい、じゃあ、木を表現して」と言っても絶対に難しいので、「じゃあ、ボードを使って軽く腕を動かしましょう」とか、そこで「自分のところに高い低いなど空間を自由に使ってみてね」というと、割と負担なく動けると思うので、そこらへんはすごく注意しています。おっしゃる通り、表現ということにストレスを感じる子がいるということは、私自身も思いますね。

堤:新井さんのワークショップも、ただ、自由に踊ってというのではないですよね。ちょっとしたルールとか、物を使ったり、枠組みをつくって、その中で、「こんなやり方もあるよね」と見せてあげながら段階を踏んで表現していくっていう感じですよね。

新井:表現という言葉って、もどかしいですね。「表(おもて)」に「現(あらわす)」と書いちゃうから。自分の自我みたいなものがあって、それを相手に伝えるための媒体として表現があると考えちゃうと、すごいややこしくなっちゃって。その意味で、山本さんの「ムーブメント・コミュニケーション」という言葉、すごくいいと思うんですよ。もうちょっと言葉を変えると、「遊び」みたいなことでもいいのかなって思うんですよね。
「遊び」って、例えば、ドアノブの「遊び」とか、ハンドルの「遊び」みたいに、目的に直に向かわない時間・空間のことを「遊び」と我々は言ってきていると思うんです。目的化されない、無意味かもしれない、意識してやっているわけではないところ。でも、本当はそういう、意味とか何かの役に立つわけでもない自分の行為みたいなことを、自分が自分に許すことが自由の手がかりなんじゃないかな、という気がしている。ワークショップがそういう経験になるといいなと思っています。

いわゆるプレッシャーになるような「表現」ではなくて、自分で自分の身体と心に出会って、自分でもモヤモヤっとしたところを認めてあげるというか、そのことをもう一度見つめる時間ができたらいいんじゃないかなという気がしています。


//地続きで考えていく子どもの支援

堤:塚越さんのご寄稿(コラムvol.3参照)をお読みになって、新井さんのご感想など伺えますか。

新井:少年院にいる子どもたちが、「学ぶ」とか「生きる」ということに関して、塚越さんが心動かされたような真っ直ぐな感じとか、エネルギーをバーンと直にぶつけていける感じなのに対して、むしろ少年院の外の少年たちが、なんでそういうふうになっていないのかな、と素朴に感じました。

山本ゆかり:私も思いました。(矯正施設の)中の子のほうが、純粋で、吸収しようとしているんですよね。
(矯正施設の中の子は)親にも大人にもほめられたり、認められてこなかった子たちが本当に多くて、「上手だね」とか「よくできてるよ」という、ちょっとの一言でもすごく喜んで、すごく自信につながると聞きます。おそらく、中にいる子たちは、初めての経験が(施設の)中ですごく多いと思うんです。だから塚越先生の優しい言葉も刺激や自信になって、「もっと頑張ろう」って思ったり、そうやってどんどん輝いて、情熱がわーっと出てくるんだと思います。元は良い物を持っている子が本当に多いので。

山本一乃:私がいつも思っていることは、鑑別所や拘置所などいろんなところに入っている人もそうなんですけど、もっと、家庭を振り向いてほしいというか、もう少し家庭のあり方を話し合って、家庭を築いてほしいと毎度毎度思っています。会話を大切にしてほしいですね。

堤:結局、鑑別所に来ることになった子どもたちは、一番大きいのは家庭環境というお話ですけど、親子関係が上手くいっていて、幸せな家庭はいいと思うんですけど、そうじゃなかった場合、どうやって社会が親子ともども支えていくのかという、そこの部分を変えていかなければいけないのかもしれませんね。親まかせで、親が子どもの養育がままならなかったら、結局、子どもが道を外れてしまうという社会は、どうなのかなという感じがします。

新井: 僕は、以前に東京都荒川区の下町地域に住んでいて、そこはかつて「町ぐるみで子育てをする」ということをやっていたと思います。僕が住んでいた地域は、自営業の職人さんがいっぱい住んでいて。駄菓子をつくっている小さい工場があったり、印刷工場があったり。15年ほど前、僕がそこに引っ越した当時は、自営業主は70 代ぐらいになっていて、半ば引退間近だったんですが、その人たちの娘・息子たち世代は、親たちは戦後の高度成長期で忙しく、あまりかまっていられない時は、毎晩違う近所の家に上がり込んでご飯を食べるのは当たり前。小遣いも親がくれない時は、近所の気のいいおじさんが小遣いをこっそりくれたんだよっていう話があったりだとか。お互い貧乏で忙しいけれど、子どもが町ぐるみで面倒を見てもらえていた。家族内でいろんなことが解決できることも大事かもしれないけれどけど、ちょっとずつ、寄っかかれる場所が世の中に多数できるといいですよね。そういう子どもたち少年たちに関われるいろんな大人が地域にいるといいのかもしれない。まさに、山本さんがそのいろんな大人のお一人、お二人なんだと思うんですけれど。

中西:ちなみに、少年院を出た後に、家庭に戻れる子はどれくらいいるのでしょうか。出た後も山本さんたちがその子たちに引き続き関わることは難しいのでしょうか。

山本一乃:それは絶対にやってはいけない事なんです。一旦、指導していても、外で会った時には、そういうことはしないこと、というシステムで入っています。
山本ゆかり:その役目は、保護司さんに託すということです。

堤:ちなみに、法務省のホームページ(ホームページ内公開資料「多摩少年院の概要」http://www.moj.go.jp/content/001238658.pdf)を見ていてデータがいくつか載っていたのでご紹介すると、
多摩少年院を出た出院者の帰住先というもので、
保護者 78.3% 
雇主 8.4%
更生保護施設 3.5%
その他 9.8%
ということで、保護者の元へ帰るという少年が78%で一番多いですね。

山本ゆかり:おそらく、施設側も、出た後の家庭がどこまでしっかりしているかっていう、そこまで責任を取ることは難しいと思うんです。鑑別所でたまにいるんですけど、本当は家に戻しても良いんだけど、環境が良くないと判断した場合に、あえて少年院に入れる場合があるそうです。そっちのほうが更生してその子のために良いだろうと判断した場合には少年院に送るという子も何例かあるようですね。

新井:その後っていうのはすごく気になりますよね。例えば、特別支援学級や特別支援学校に行っても、学校にいる間は特別な支援があるけれど、その後、社会に出た時にどういう支援や関わりがあるのだろう、とか。僕らが関わっているのは、その人の人生の中の点でしかなくて、この後の時間のことをいつも考えたりします。

山本ゆかり:私自身も、普段は支援学級で音楽の講師をしているんですが、例えば、卒業して就職しなければいけない、ただ、お家がちょっとアンバランスで。この先、どこに、どうやっていくのかなぁとすごく心配になりますね。現に、そういう子が鑑別所に入ってくるパターンも結構あるので、すごく心配ですね。

新井:たまたま仕事で特別支援学校に行ったり、今日も、自分の知らない世界の話を聞かせていただいているんですけど、いつも思うことは、知らなかっただけで、これは、地続きなんだよなっていうことなんです。僕は自分の中のちょっと凸凹した部分をうまくはめられるところを見つけられたから、今、こうしていられますけれど、他人事じゃないなと思うんですよね。矯正施設にいる子どもたちや障害のある人たちとか、こうやって出会った、ちょっと生きづらさを抱えている人たちのことは、他人事ではなく、地続きとして考えるというのがすごく大事だと思います。

山本一乃:私たちは、鑑別所や拘置所に行って、もちろん指導しているんですけど、相手側からすごく教えられています。鑑別所の少年たちからも教えられますし、拘置所の女性受刑者たちからも、この年になってもまだ教えられることがたくさんあります。それはそれで、すごく感謝していますね。

堤:我々も、アーティストをつれて、学校や児童養護施設に行きますけれど、アーティストの方もいろいろ受け取るものも多いでしょうし、我々にとっても子どもたちや施設の人たちからいろんなものを得ています。
先ほど新井さんが「地続き」っておっしゃいましたけど、行政的には学校は文科省・教育委員会、児童養護施設は厚生労働省、今回の話は法務省と区分されています。だけど、子ども、少年という意味で言えば、児童養護施設にいる子、少年院に来た子、今は学校には通えているけど、すごく悩んでいる子や生きづらさを感じている子とか、本当にその辺りは地続きなんだなって思いますね。そして、どの子もみんないろんな可能性を持っていると思うんです。
私たちNPOは行政ではないので、柔軟にいろいろなところに顔を出しながら、それぞれのところで何かお役に立てられたらという気持ちでこれからも活動して行きたいと思います。


「分断」から「共生」へ導く社会づくりをテーマに4回シリーズでお送りしてきたコラムは、今回で最終回となります。貴重なお話を聞かせてくださった各登壇者のみなさまに、改めてお礼申し上げます。

“芸術家と子どもたち”はこれからも子どもたちのいるさまざまな場所へ、アーティストとの出会いを届けてまいります。それぞれの場所で子どもたちと丁寧に向き合い、寄り添いながら、学び、成長し続けていきたいと思います。最後までお読みになってくださったみなさま、本当にありがとうございました。

編集:NPO法人芸術家と子どもたち
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