カラダとココロがおどるとき~少年院での実践(アーティストのこえ)~
1999年に発足以来、学校や児童養護施設などの教育・児童福祉の現場で、数多くのアーティストによるワークショップ(ASIAS:エイジアス)を実施してきた、芸術家と子どもたち。その中で、発達障害のある子や虐待を受けた経験のある子など、今の社会に生きづらさを感じている子どもたちへのワークショップの意義というのを強く感じてきました。そうした子どもたちにとって、アーティスト・ワークショップは、何かその後の人生を生きていく上での力になるような体験をつくることができるかもしれない。そんな思いから、昨年度より少年院で暮らす子どもたちとのワークショップをスタートしました。
今回のコラムでは、2022年12月~2023年2月の全4回ワークショップを実施した「東日本少年矯正医療・教育センター」での様子を、アーティストや法務教官の先生方へのインタビューを中心に、全2回に渡ってご紹介いたします。
【助成】公益財団法人ベネッセこども基金
※東日本少年矯正医療・教育センターは、関東医療少年院と神奈川医療少年院を移転・統合して、平成31年4月1日に設立された少年院です。少年院は、家庭裁判所から保護処分として送致された少年に対し、犯罪的傾向を矯正し、健全な育成を図ることを目的として矯正教育を実施するとともに、16歳に満たない少年受刑者についても、16歳までの間、矯正教育を行うことができる施設です。[東日本少年矯正医療・教育センター 『施設のしおり』より] ※「少年院にいる子どもたちの現状」についてのコラムはこちらから |
【ワークショップ実施概要】
実施施設 | 東日本少年矯正医療・教育センター(東京都昭島市) |
アーティスト | セレノグラフィカ(ダンスカンパニー) |
実施期間 | 2022年12月に2回、2023年2月に2回 全4回各60分実施 |
参加者 | 医療措置課程に在院する14歳~20歳くらいの女子 15人(各回10名程度ずつ参加) |
■最終回のワークショップの様子
※新型コロナウィルス感染拡大防止のため、実際のワークショップ中は、アーティストも子どもたちもマスク着用で実施しました。
12月に2回、2月に2回の計4回実施。各回60分ずつの実施で、すべての回に参加した子もいれば、2回のみの参加の子もいました。子どもたち一人ひとりには、自分で考えた「ダンサーネーム」をつけてもらい、アーティストはそのダンサーネームで一人ひとりに声をかけながら、ワークショップを進めていきました。毎回、「ダンスの手洗いうがい」と題した準備運動からスタート。自分の身体をさすったり、仰向けになったり、ゆったりとした曲の中で身体のこわばりを取っていきました。アーティストの動きを真似しながらリズムに乗って動くことや、「片手をあげたポーズ」など、簡単なルールの中で自分のオリジナルの動きやポーズをつくるなど、表現の引き出しを増やしていった子どもたち。ペアワークをしている時は、お互いに目を合わせ、息を合わせながら、楽しそうに身体を動かしてくれました。これまで実施したワークを繋げると、いつのまにか1曲のダンス作品が完成!最後まで踊りきり、並んでお辞儀をした時の晴れやかな表情がとても印象的でした。はじめは緊張している様子も見られましたが、「まほさん」「あびちゃん」のあたたかいお人柄と、素敵な音楽に包まれながら、身体も心もほぐれ、少しずつそれぞれの「ダンス」を見せてくれました。
全4回のワークショップ最終回終了後、今回のワークショップについて、お引き受けいただいた時の気持ちや実際に子どもたちと活動をしての感想など、セレノグラフィカのお二人にインタビューをさせていただきました。
■「少年院」という場所について
久保田/芸術家と子どもたち:今までお2人には、学校や児童養護施設など、様々な場所でワークショップをしていただいているのですが、少年院という場所は初めてのご経験だったかと思います。少年院でワークショップをするということにあたって、何か感じたことや意識したことなどがありましたら、まずはお伺いしたいです。
隅地茉歩さん(以下、隅地):少年院という場所自体、テレビや映画の世界でしか見たことがなかったので、そこに足を踏み入れるということが自分の中では衝撃でした。緊張もしましたし、いったいどういう心の用意があればいいのか、逆にそういうものは全く必要ないことなのかというのが、正直よくわからなかったんですよね。実際に子どもたちに対面するまでは、「怖い感じの女の子が来るのかな…」とか、勝手に想像してはドキドキしてました。
阿比留修一さん(以下、阿比留):どうしてこの子たちが少年院に来たのかっていうことまではもちろんわからないですけれども、教官の先生方から説明を受けた際、少年院全体の話として殺人や傷害事件を起こしてしまった子も来るという話をお聞きした時は、やはりかなり衝撃的でしたね。そうだよな、確かにそういう子がいるんだよなって。とはいえ、そこに恐怖感とかはあまりなくて、そうしてしまった複雑な事情もあるんではないかとか、子どもたち自身はどういう思いでここにいるのか…みたいなことを考えると、一緒に何かいい時間がつくれたらいいなというのは強く思いました。
隅地:先生方のお話の中で一番ハッとしたのが、「ここにいる子どもたちは、加害者の立場に立っていると同時に、児童虐待を受けてきた子も多くて、この子たち自身が被害者という側面もある」という言葉で。私たちがその経緯を詳細に知ることはできないけれども、まだ20歳にも満たないほどの年齢で、どんなに大変な思いをしてここに来ることになったのかというのは、ちょっと想像が追いつかないほどのことだなと思いました。
■子どもたちとどんな時間をつくっていきたいか
久保田:子どもたちと一緒にワークショップをする4日間、どんな時間になったらいいなと思われながら、ワークショップをされていたんでしょうか。
隅地:よく2人で大事にしようねって言っているのは、踊らせるっていうことが目的じゃないってことで。ダンスって目的じゃなくて、結果なので。何かしているうちに、気づいたら動いているとか、「あれ?最初億劫だったけど、もしかしたらこれってちょっと楽しいことなのかもしれない」…みたいなことを、ちょっとずつ感じていってもらえたらいいなとは思いました。他の学校や児童養護施設に行ったりしている時と、やっていることは実は共通のことも多くて、少年院用のプログラムを考えたっていうことでは特にないです。特定の子たちに対して、「これは無理やな」とか、「これできひんな」とか考えながらワークショップをしてしまうと、ファシリテートする側だけが地図を持っている感じになってしまいますよね。ひとまずやってみて、ちょっとお互いに上手くいかなかったら変えてみる…みたいに、子どもたちにも助けてもらいながら、一緒に場をつくっていきたいということはいつも思っているところで、それは今回も同じでした。
自分が今「少年院にいる」ということについて、それぞれ自分に対して色んなことを思っていると思うんですよね。「なんでこんなことをしてしまったのだろう」とか、「あの時ああじゃなかったら」とか。そういうことを全部一旦置いておいて、「小さかった頃の私」とか、「どこかにお出かけする前の私」とか、「愛おしいと思える自分」と、もう1回出会い直してもらえるような機会になったらいいなと思いました。彼女たちが社会の中でしてしまったことは、ある文脈の中では許されないことだと思うんですが、できたら自分の魂の部分まで否定せず生きていてほしいなと。魂と身体は直結してますからね。
阿比留:自分の身体って、案外無意識のうちに無理させたり、平気で傷つけたりしていると思うんです。僕自身もそうです。普段から平気で疲れさせたり、過度な負担をかけたりしていると、恐らく他者の身体にも同じような感覚になるのではないかという気がしていて。だからまずは「私には身体がある」ということに気づいてもらえるといいかなと思ったんですよね。自分の身体が「疲れている」とか、「つらい」ということに気づいて、こうすればちょっと元気になる…ってわかったら、きっと他者の身体のことも想像ができるんじゃないかなと。「私には身体があって、その身体を大事にしていいし、大事にしてもらってもいいんだ」って思ってもらえたらいいなと。少年院としてのルールもある中で、今回お互いに触れ合うワークはできなかったんですけど、本当は「触れられる」という感覚を彼女たちにもう1回取り戻してもらいたいと思っていました。優しく触れてくれる人もいるし、信頼がある人に触れてもらうっていうのは嬉しいなとか、そんなことに気づく体験になってほしいなと思っていました。
■「アーティストが少年院に行く」ということ
久保田:実際に少年院にいる子どもたちと向き合う中で、「アーティストが少年院に行く」という意味について、何か感じられたことなどはありましたか。
隅地:最終回の後の振り返りのときに先生が、「“近づいても大丈夫な手があるんだ”って感じた子もいるのでは」って話してくれましたよね。あの言葉は物凄く心に刺さりました。最終回にやった「さわってぬけて」のワークは、初回じゃなくて何度もワークを重ねてから実施したからこそできたんだ…と。4回のワークを重ねていく中で、「この手は、近づいても大丈夫な安心できる手なんだ」って思ってもらえたんだなというのは大きな学びでしたね。
あと、例えば今日踊ってくれた彼女たちを見てて、全員が一緒ってことはないじゃないですか。あるワークを行うと、本当にそれぞれ千差万別の反応で返してくれる。その中で、一瞬何人かの子がハッとするような表情を見せてくれるんです。それを見た時に、「ああ、このことはきっと、この子の力になるはずだ」って実感できたんです。もし、この子がもう少し先まで知りたいんだったら、やっぱり一緒にそこまで行きたいって思いますし、その子自身の中から出てくる表現をもっと見てみたいって思いましたね。これは本当に4回ワークショップを重ねて、最終日に初めて感じたことでもあります。
阿比留:彼女たちの中にある何かが見えたし、彼女たちも僕らの中にある何かを見てくれたなっていう感じがしました。「ダンスを教えてくれるアーティストさん」っていうのを越えて、「あびちゃん」「まほさん」として関われたというか。この時間の中では、普通に喋って、笑って、身体を動かして、「それ全然できてへんやん!」とか突っ込んだりして…ってことができそうだなと思いました。外部の人間が入る良さっていうのは、その時その場の環境を、こちらがつくってあげられるってことですよね。普段、施設内では守るべき生活規則みたいなものがもちろんあると思うんですけど、「僕らと一緒に過ごす時間は、楽しくリラックスしてていいよ」って。そういうある種の「特別な空間」をつくれるのは、もしかしたら毎日一緒に過ごしている先生たちには難しくて、外部から来ている人間だからこそできることなのかなと。
隅地:最後、みんなに一言ずつ言葉をもらったじゃないですか。あの時のみんなの言葉には、力があるなとか説得力があるなとかいうことでは言い尽くせない、こんなふうに誰かの言葉を聞くことがあるんだっていうほどの体験でした。社会の様々な雑多な状況から一旦切り離されて、これまでゆっくり内省できるような環境にいなかったかもしれない子が内省したときに、自分の中から取り出せる「本当の言葉」っていうんですかね。嗅いだことのない匂いを初めて吸いこむように、染み込んできたんです。
阿比留:「言葉のない身体でのコミュニケーション」と「言葉」って一見無関係に思えるんですよ。でも今回「言葉のない身体でのコミュニケーション」は、「言葉」としての会話が成立するまでに一番必要な過程なんじゃないかなって強く思いました。自分の身体に気づいたり、人と一緒に動いたり、身体で何かしてもらったり…そういうことを重ねてから、初めて「どう?」って聞くからこそ出てくる言葉っていうんですかね。隅地さんが仰っている「本当の言葉」っていうのは、そうでないと出てこない気がする。言葉をつくる前に出てくる純度の高い言葉のように感じました。それが出て初めて、またもし会うことがあれば、また違ったことが聞けますよね。「その指のポーズってさ、何でこうしてみたの?」とかね。
隅地:そういう意味では、どこか今日がスタートっていうような感覚もありますよね。今日施設の中で、「再犯させない」っていうポスターを見たんです。これは本当に大事なことだなって思ったんですよ。この施設の先生方が一丸となって取り組んでおられるのはこれなのだろうなって。「再犯させない」ということを逆に、子どもたちの立場から考えるならば、再犯しないで済むにはどんなことがあったらいいのかを探すことかなって。管理を徹底して「再犯したらダメだぞ!」っていうアプローチもあるとは思うんですけど、自分の中から何かが少しずつ溶けていって、「こういう自分でいたい」って心から思えるような自分に出会うプロセスもあると思うんですよね。後者のようなプロセスを私たちは大事にしたいと思いますし、社会の中でもそこを想像して共感してくれる人が増えるといいなと思いますよね。
阿比留:子どもたちにとっても、「君たちのために来たぞ!」っていうより、「僕らが来たかったから来てみたよ~」ぐらいの方が喜んでくれたりするのかなと思ったりしますよね。ダンスのステップを覚えてもらうわけでもないし、何かこの振付を一緒に踊るよっていうことじゃなく、もっともっと自分の身体を知ったり、動いてみたりする中で、「ものすごいダンスやってるやん!」みたいになる。僕らができることは、制度や規則から一旦離れた時間をどれだけ提供してあげられるかってところで。だからこそ、子どもたちが自然に発する言葉、自然に出てくる笑顔が一番の喜びですし、そのためにこれからもこういう活動を続けていけたら嬉しいなと思っています。
隅地さん、阿比留さん、ありがとうございました。
続いて、ワークショップに立ち合ってくださった法務教官の先生方のこえをご紹介したいと思います。